東京都弁護士協同組合「懇親パーティ」に参加して

平成29年5月29日(月)午後6時から「芝パークホテル別館 ローズルーム」で東京都弁護士協同組合の組合員(弁護士)と特約店の懇親会が開かれた。弊社も特約店として招待を受け出席した。探偵社で東京都弁護士協同組合の特約店になっているのは8社であるが、出席する顔ぶれは決まっている。東京に本社のあるI社、大阪に本社のあるP社、そして我が社「株式会社愛晃リサーチ」の3社である。I社の社長が長身を折り曲げて「景気は如何ですか?」といつもの台詞で問いかけてきた。P社は、いつも東京の支社長が出席するが今回は社長が大阪から参加されていた。

弊社は東京以外に千葉県弁護士協同組合、神奈川県弁護士協同組合、埼玉弁護士協同組合の特約店と認定されていることから組合員である弁護士からの依頼または紹介で受任する案件が70%以上に及んでいる。

今後、組合員(弁護士)から益々のご支援が頂けるよう社員一同精進してまいりたいと思っている。

ついに千葉三越閉店 

1984年に開店した千葉三越が33年間の営業に3月20日で終止符を打つ。昨年11月に閉店した千葉パルコに続いての閉店は寂しい限りである。千葉駅が新装されたことから周辺の商業地図は大きく変わっていくであろう。

 わが社は千葉三越の開店より約1年早く創業しており今年の11月で創業34年を迎えることになる。

 奇しくも弊社を創立する直前の1983年9月19日号の日経ビジネスに

【会社の寿命】企業の繁栄は、たかだか30人も企業も寿命がある~企業は永遠か、と題し次のような記事が載った。

日本経済百年の、驚異の発展、成長を推進してきたものは企業のバイタリティー。明治以来、産業構造の激しい変化の中で、時代を代表する有力企業の顔ぶれは目まぐるしく移り変わったが、没落していく企業がある一方、それらに代わって、たくましい企業家精神を受け継いだ新興企業群台頭した。 

 本誌調査が明らかにした企業の寿命―1企業が繁栄を謳歌できる期間は、平均わずか30年。経営者が企業家精神を失う時、企業は、たちまち衰亡の途を転落し始める。私利私欲に走らずに、企業家としての情熱を持ち続け、透徹した眼で先を見通して、ハラのすわった決断のできる経営者だけが、企業を成長させ、その生命を永らえさせることができるのだ。 

 今、日本は「峠の時代」。失われた企業家精神をとり戻し、ニッポン病を克服して、未来への新たな飛躍を実現するために、われわれは今、先人たちの栄枯盛衰の歴史に残された教訓を率直に受けとめなければならない。 

この記事を読んだ探偵モスラは、創業時の決意を改めて、肝に銘じた次第である。

                     

 

 

映画 ベン・ハーをみて  

 

先々週の土曜日から日曜日にかけてBSテレビで久しぶりに映画のベン・ハーを鑑賞した。ユダヤ人貴族の息子ベン・ハーが幼馴染の友人メッサーラに濡れ衣をきせられ罪人としてガレー船のこぎ手(船が沈没すれば捨てられる奴隷)とされたベン・ハーは、海戦においてローマ軍の司令官アリウスの命を救うという大殊勲をあげ、奴隷の身分を解かれ司令官の養子となる。のちにベン・ハーは戦車競走の新鋭としても注目されるようになり、やがてエルサレムでの戦車競走で宿敵のメッサーラに挑むことになるベン・ハーは激闘の末、メッサーラを倒し、牢獄に囚われていた母と妹を救い出す、というのがあらすじである。

 後半の迫力ある戦車競争も圧巻で見ものであるが、ベン・ハーが漕ぎ手をしていたガレー船での海戦場面で考えさせられるシーンがあった。

 それは、敵艦隊と交戦するときガレー船の漕ぎ手である奴隷が逃げ出させないように足を鎖でつないだのである。鎖で船につながれた奴隷は命令通り力の限り漕ぐしか助かる道はない。

 当然、船が沈没すれば奴隷は船と共に海中に沈むしかない。残酷な話ではあるが当時としては、海戦に勝つため当たり前に行われていたことなのであろう。

 それにつけても隣国の指導者が指示したとされる今回の暗殺事件、事実ならば異母兄である肉親を非情にも「除去」するとは、なんとおぞましいことか。

正に狂気の沙汰。かの国に未来はない。

 

イソップ物語の「北風と太陽」

 人に行動してもらうためには、北風のように無理やり手っ取り早く、強引に押し付けてもダメ。

太陽のように、優しく相手の気持ちを考えれば、無理することもなく、自分自身で動いてくれる。

                          探偵モスラ

守 破 離 (しゅはり)とは

先日、上場企業の人事担当者に調査報告書を届けに行った。調査結果に自信は持っていたが、不安な気持ちが少なからずあった。なぜならばライバル企業と競っていたからである。担当者に調査報告書を差し出すと丹念にページをめくり読んでいる。調査結果に納得しているのか、次第にうなずく回数が多くなってきたので安堵の気持ちが湧いてきた。

 読み終わった担当者は「難しい調査なのによくここまで調査できましね」と、笑顔で問いかけてきた。まさに探偵冥利につきる言葉である。

そして、社員一人ひとりの顔が脳裏に浮かんできたのは当然である。感謝!

調査員として調査技術は当然優れていなければならないが、同時に調査報告書を作成する文章能力も高くなければならない。

 つまり、いくら良い材料(調査の内容)があっても調理(文章能力)が劣っていてはお客様が満足する料理(完全な調査報告書)は提供できない。

 

「守破離(しゅはり)」という言葉がある。

(茶道、江戸千家の川上不白が唱えたとされるが諸説あり)

守 ― 最初の段階では、指導者の教えを守る。

    できるだけ多く話を聞き、指導者の行動を見習って指導者の価値観を自分              のものにしていく。すべてを修得できたと感じるまでは、指導者の指導の                 通りの行動をする。

破 - 次の段階で指導者の話を守るだけではなく、破る行為をしてみる。  

    自分独自に工夫して、指導者の話しになかった方法を試してみる。

 

離 - 最後の段階では、指導者のもとから離れて、自分自身で学んだ内容を

    更に発展させる。

 

    分かりやすく言うと、まず真似をして、次にオリジナルを混ぜてみて、

    最後に新しいものをつくっていくと言うこと。

    守破離の教えは、あらゆる芸事、スポーツに通じる。

    仕事は修行だ。

    より一層の精進を期待するところである。

                              探偵モスラ

チームを日本一に導いたもの

昨年、激闘の末に日本シリーズ広島東洋カープを破り10年ぶりの日本一に輝いた北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督の対談記事を読んだ。

対談のなかで栗山監督は、試合に負けたときに「まぁ、仕方ないな。また明日がある、なんて思う自分は絶対に嫌で、負けて仕方がないなんて思うんだとしたら、それは必死にやっていないからだと思うんですよ」と語っている。

さらに「負けて悔しがったり怒るようなことがなくなったら、なんだか悲しいじゃないですか」とも言っている。

探偵の仕事も一瞬一瞬が真剣勝負である。今日この時に結果を出さないとダメなんだ。この次はないんだという必死な気持ちでやっているかである。

張り込み、尾行をするときにお客様から指示された時間、現場に張り付いていればいいのだなんて安易な気持ちではお客様が望む調査結果は絶対に得られないのである。

時間が経過するにつれて周囲の状況は刻々と変わっていく。張り込む場所はこのままこの場所でいいのか? 出入り口は他にないか? 対象者宅に変化はないか? 等々 考え推理することはいっぱいある。ただ漫然と張り込みをしていてはプロとは言えない。

営業社員がお客様から言われて一番悔しい言葉、それは「こんな簡単なミスをして、あなた達、プロでしょ! プロだと思ったからお金を出して頼んだのよ、今日が一番のチャンスだったのに・・・」です。

すべては、アイコウに頼んでよかった、の為に!

肝に銘じようではないか。 ご同輩!

探偵モスラ

奥多摩山岳救助隊

ふところに一瀑を呑み山眠る   くにを

これは永年の友人  金(こん)邦夫(くにお)君の年賀状にあった俳句である。彼は、山岳救助隊副隊長として青梅警察署に勤務し、奥多摩地域の山岳救助一筋に警察官人生を終えた男である。現職時代には年間40回にも及ぶ救助に出動したという。

「警視庁山岳会 クライム・ド・モンテローザ」を設立。国内では谷川岳などの岩場で冬季クライミングに熱中。米国ヨセミテ山岳救助研修に参加。一方ヨーロッパアルプス三大北壁に挑戦するなど生粋の山男である。

また、彼は「登山がいちばんの趣味である」とおっしゃる皇太子殿下が、幾度か奥多摩の山に登られた際、警衛に8回従事したことを誇りにしている

著書として「我が青春の北壁」「奥多摩登山考」「金副隊長の山岳救助隊日誌」「すぐそこにある遭難事故」等がある。

その著書の中で示唆に富む言葉を記しているので紹介したい。

・同じ山ヤとしてあえて言う あなたたち、山岳会員としてもっとプライドをもて

(同じ探偵ヤとしてあえて言う あなたたち探偵としてもっとプライドをもて   頼んで良かったと思っていただける仕事をしてますか?)

・パーティの分裂による遭難

山の中で仲たがいなんてロクなことにならない

(監視張り込み中に仲たがいなんてロクなことにならない 心せよ探偵)

・一瞬のミスが命取り

(張り込み中 緊張感が緩んだ頃に対象者は動く)

彼とは毎年一度、酒を酌み交わしているが、その日はもう直ぐだ。 楽しみである。

雪渓の滴りに置く マグカップ    くにお

探偵モスラ

探偵モスラ一日の始まり

早いもので今日は2月3日、節分ですね。

すっかり正月気分が抜けて世の中の動きもすっかり日常に戻ったようです。

さて、探偵モスラは毎朝4時頃に起床。玄関から朝刊をとってきて読みながら

朝食のヨーグルトとパンかバナナ一本(猿ではない)を食べる。

それから髭を剃って身支度整え出勤となる。会社には概ね6時頃には入る。

事務所に入ってまずすることがある。それは自席の頭上にある神棚の榊の

水を替えて二礼二拍手一礼をして「社内安全」「商売繁盛」を念じます

「仏神は尊し仏神は頼まず」この言葉は、宮本武蔵が吉岡一門と決闘の

約束をしていた

「一乗寺」に向かう途中、「八代神社」で勝利の祈願をしようとしたが、

神仏に頼ろうとした自分の心の弱さが問題だ、と気づいたとされる。後に、

自戒の壁紙文「独行道」の1項に書かれているものです。

「神や仏の存在を信じ、敬うが、その力に頼ることは決してしない」という

宮本武蔵の悟りの言葉とされる。

それに習ってモスラは、神棚に向かって祈願をするのではなく念じるのです。

正直なところ「神様、仏様、助けて下さい」とすがりたいときがあることも

確かですけどもね~。

まだまだ寒い日が続きますが、明日4日は立春です。

誰にも必ず春は来ます。

探偵モスラ

 

笠森観音様 ご利益がありますように!

 

過日、パワースポットとして知る人ぞ知る「板東三十三観音札所」となっている千葉県長生郡長南町にある「笠森観音」にお参りした。

この笠森寺の創建は延暦3年(784年)平安時代、天台宗の開祖である最澄上人が開基したと伝えられる名刹である。

笠森観音に向かう自然林の中の階段を登っていく最中にあるのが、大木の三本杉である。この三本杉の根元がなんと繋がっているのである。さらに霊木「子授楠」である。根の付近に人が通れるほどの穴が開いており、初めに男性がくぐり、次に女性がくぐると子供が授かるとの言い伝えがある。

笠森寺の二天門(左右に一対の仁王像を安置した寺の中門)をくぐって左手側にお土産店の「縁起屋 古壺」がある。

今、こちらで売られている「開運 黒招き猫」が、ご利益があるとして大変な人気となっている。全国各地から沢山の注文が入り毎日発送に追われているらしい。

店主によると「宝くじで一億円以上当たった人が2~3人いる。子供が授かった。癌が治ったなどといってお礼参りに来られる方がいます」とのこと。

店主の言葉を信じてすかさず会社と自宅用にその「黒招き猫」を二対買ったのは言うまでもない

 信じるものは救われるデス!

最後に日本でただひとつ「四方懸造り」として、明治41年「国宝」に、その後、昭和25年「国指定重要文化財」となっている観音堂にお参りすることをお忘れなく。

そして岩の上に建てられた観音堂の回廊から見わたす雄大な房総の山なみをご堪能頂きたい。

(和坊)

 

招き猫

開運 黒招き猫

 

 

ああ! 江田島海軍兵学校

昨年の暮れに10年ほど前から愛読している月刊誌「致知」のページをめくっていたところ「江田島海軍兵学校 その人間教育に学ぶ」とのタイトルが目に飛び込んできた。

それは田安徳川家第十一代当主「徳川宗英」氏の手記であった。

手記によると第七十七期生として入校した四か月後に終戦となった為、自分は江田島海軍兵学校最後の生徒であった、と述べている。

実は筆者が入校した警視庁警察学校での担任教官が奇しくも、その江田島海軍兵学校の最後の卒業生であったのです。

当然我々は伝統ある海軍兵学校精神を折に触れて吹き込まれた。

一番の神髄は徳川氏が手記の冒頭に掲げている「五省」である。参考までに記載する。

一.姿勢に悖(もと)るなかりしか

一.言行に恥(は)づるなかりしか

一.気力に缺(か)くるなかりしか

一.努力に憾(うら)みなかりしか

一.不精に亘(わ)るなかりしか

徳川氏は江田島海軍兵学校で、一日の締め括りに暗誦した訓戒だという。

当時の江田島海軍兵学校はイギリスの「ダートマス」、アメリカの「アナポリス」と並ぶ世界三大兵学校と称された、とも記している。

さらに、徳川氏は「江田島ではシーマンシップを養うための躾を訓育と呼び、その訓育の基本が<三S精神>つまり、スマート、ステディ、サイレント」であったとしている。

・スマートはキビキビして手際がよいこと。

・行動は早いだけでなくステディ(着実)でなければならない。

・発令者以外は集中力を高める為、サオレント(静粛)を保つ。

この「五省」「三S 精神は」は、現代社会においても一人の人間として生きていく上の指針として役立つことは確かである。

(和坊)

日本出身横綱誕生

 1月23日、横綱審議委員会は、初場所で優勝した大関、稀勢の里の横綱昇進を全会一致で推薦した。

 ついに3代目若乃花以来19年ぶりに日本出身横綱が誕生する。稀勢の里の先代師匠、故鳴戸親方(おしん横綱と呼ばれた元隆の里)から土俵際に立って切り返す稽古を随分やらされたという。千秋楽、土俵際でからくも白鵬に逆転勝ちした相撲を振り返って稀勢の里は「自分の力以外の力が働いた気がした」と言っている。元師匠があの世から力を貸してくれたかのようである。

 大関に昇進して苦節5年、何度も挑戦してやっと掴んだ横綱の地位。これで終わりではない。新しい試練がこれからまた始まることだろう。

 辛口の批評で知られる漫画家のやくみつる氏が「日本出身の力士として品格のある横綱像を体現してもらいたい。他の力士のお手本になるよう立ち振る舞いを大切にして欲しい」語っているが、懸賞金を得意気に鷲掴みする白鵬のこれ見よがしの姿を苦々しく思っている筆者も心から同感である。